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伊達宗実 (安房守) : ミニ英和和英辞書
伊達宗実 (安房守)[だて むねざね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
: [ぼう, ふさ]
 【名詞】 1. tuft 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

伊達宗実 (安房守) : ウィキペディア日本語版
伊達宗実 (安房守)[だて むねざね]

伊達 宗実(だて むねざね)は、江戸時代前期の武士仙台藩初代藩主伊達政宗の九男。仙台藩一門第二席・亘理伊達氏第2代当主。
== 生涯 ==
慶長18年(1613年)、伊達政宗の九男として仙台に生まれる。幼名は喝食丸。母は側室・荘厳院
寛永2年(1625年)に元服し、寛永16年(1639年)に跡継ぎのいなかった亘理城主・伊達成実の養子となる。但し、『伊達世臣家譜』の一族・宮内氏の項では「常清子無く、貞山公の第九男を養いて嗣と為す。これを治部大輔(小字は喝食丸)宗実と称す。宗実後に伊達安房成実の嗣と為る」と、成実の養子となる前に宮内常清の養子であったとしている。
寛永21年(1644年)8月、領内総検地(寛永総検地)の結果を受けて知行の再編が行われることになったが、亘理領は成実の推し進めた開発の成果によって、二割出目(1反を360歩から300歩に改定)での計算ながらも、ほぼ倍近くの数字〔亘理伊達氏の所領は、最後に加増を受けた寛永5年(1628年)の時点で、所領48か村余で計1,226貫804文であった。なお仙台藩では1貫=10石として計算する。〕が出たため、亘理伊達氏の知行は2,000貫ちょうどとされ、余剰分の16か村余を本藩に召し上げられることになった。仙台藩は地方知行制のため、知行の削減は所領の没収を意味し、さらにこの収公予定地に亘理郡内の一部と塩田が含まれていたこともあり、宗実は兄である藩主・忠宗に対して強硬に抗議したが、結局本藩から補償金を下すことを条件に所定の領地を返上した。
正保3年(1646年)2月、成実の隠居にともない家督を相続する(成実は同年6月に死去)。承応2年(1653年)5月、宗実が荒浜湊にて宴を催していたところに、同地に駐在していた山形藩足軽が乱入し狼藉に及んだため、宗実の小姓・柴田常氏(彦兵衛。宗実の従弟)に斬られるという騒ぎがあった。山形藩はこの足軽を切腹させたが、喧嘩両成敗として常氏の切腹を要求した。そのため本藩から宗実に常氏を切腹させるよう通達したが、宗実はこの決定を不服とし、理不尽な処分を強行するならば出奔も辞さぬと頑として譲らなかった。しかし6月15日、主君に累が及ぶことを恐れた常氏とその父・常弘(宗実の叔父。生母・荘厳院の弟で宗実の後見役)の両名が切腹したため事件は決着した。
寛文5年(1665年)6月5日死去。享年53。嫡男の宗成が家督を相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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